600年前後、隋は他の国と争おうとしていて、日本はそれを知ったうえで「無礼な手紙を書いても怒らないだろう」と踏んで、「天子」という言葉を使ったと聞いています。もしそうなら、国際法上のブランクがあったのではなく、国際情勢に通じていたということになりませんか?

「無礼な手紙を書いても怒らないだろう」というのでは、何のために隋に使節を送ったのか分かりません。しばらく中国王朝と接触のなかった倭としては、隋の先進的な知識や技術、文物を受容し、半島諸国に比肩しうる古代国家を構築したかったはずです。隋を挑発してよいことなどありません。実際、対等外交をしようとしたという痕跡自体が、史書のなかに見出せないのです。隋帝は実際に激怒しているわけですし、「国際情勢に通じていた」とは考えられません。