内乱状態になってしまった都を建て直すことはできたのでしょうか?

飛鳥京については、大海人軍の大伴吹負が、大友軍の留守司高坂王と内応し、ほとんど大きな戦闘もなく占拠することに成功しています。また大津京については、当時の都は羅城もなく防備に向いていなかったため、大友らは都を出て瀬田での激戦に向かい、それに敗れてのちは山崎へ逃げて自殺、もしくは誅殺されています。発掘によっても焼亡の痕跡などは見出されておらず、宮城自体は戦場にはならなかったようです。