大宝律令などの律令には、どのような目的があったのでしょうか。人民のためなのか、逆に人民を支配するためなのか。 / もし中国の影響を受けなければ、日本は律令国家にならなかったのでしょうか。もしそうなら、どのような国家になっていたのでしょうか? / 律令が定められる以前は、法のない社会だったのでしょうか?

古代国家の意識としては、まずは中国王朝と同様の文化的体裁を手に入れることが、目的であったと思われます。律令を制定する以前の列島社会も、もちろんまったくの「無秩序」であったわけではありません。それぞれの共同体には、長年の間に培われてきた慣習法が存在し、それに基づき、より広範囲な形での社会的合意も存在したはずです。しかし、中央主権国家が作られ、もともと異なる社会であった遠隔地どうしが結びつき、ひとつの社会のなかでも上層と下層との間にさまざまな接触が生じ、国家の業務が複雑・煩瑣になってくると、どうしても統一的な取り決め=法律が必要になってくる。古代日本はそれについて、まず大きな枠組みを中国の律令を微調整して輸入することで形成し、それと現実社会との間を調整する修正法(格)、施行細則(式)を、準じ制定してゆく形で運営してゆこうとしたわけです。