律令国家においては、日本の在来の習俗を抑え込むように、儒教に基づいた統治を行っている。なぜいつの時代にも、国家のエリートは、「外国万歳」の状態になるのか? / 日本は、他の国から文化、社会のあり方を採り入れなければいけないほど、発展が遅れていたのでしょうか?

この授業の冒頭でお話ししたように、現在、国際社会で「先進国」と位置づけられている日本と、少数民族の生活を比較したとき、われわれが常識的に「日本が発展している」と考えるのも、極めて限定されたものの見方に過ぎません。いま、着の身着のままの状態で原野に放り出されたら、都市社会に生きるわれわれは、数日のうちに生命を落としてしまうでしょう。いまのわれわれは、社会と文化によって庇護されているわけで、ひとりひとりが必ずしも、身体的・精神的に優れているわけではないのです。それは果たして発展なのか、と問うことは可能でしょう。それと同じように、律令国家の形成期には、朝鮮諸国や中国王朝の文化を摂取し、同等の「文明国」となることが「発展」と考えられたに過ぎません。それは当時の王権・国家が、アジアに対し開明的な意識を持っていたことの表れで、別段恥ずかしく思うことではないはずです。ただし、その中国化、「近代化」によって失われてしまったコト・モノがあるのも確かであり、それらにしっかりと目を向けてゆくのが、歴史学の役割のひとつであると思います。