2009-05-15から1日間の記事一覧

唐制で大蔵に当たる官司はなかったのでしょうか。

法円坂倉庫群や鳴滝遺跡の図をみて疑問に思ったのですが、黒丸の柱の跡は、なぜこんなにも位置や数がばらばらなのでしょう。

全体を発掘するとある程度のプランがみえてくるのですが、実際は、プランどおりに柱穴が見つからない場合や、微妙にずれている場合、あるいは重複して検出される場合などがあります。それは、短期間のうちに建て替えが起きたり、一部で地層の攪乱が起こった…

「弓末の調査」=肉・皮革といった説明がありましたが、農作物はどうだったのでしょう。

稲については、やはり、神や共同体の首長へ初穂貢上の儀礼があったものと考えられています。それを受け取って食すことが、支配の確認の意味を持ったんですね。これは律令制に採り入れられて、租庸調の「租」に位置付けられてゆきます。

葛野郡の班田図をみて、こんな昔に記号で土地利用状況を表していたと知り、写真のない時代でも何とか土地の様子を記録しようとした努力の結果と思いました。

これは私の説明不足でした。実際の葛野郡班田図をみますと、各地域の情況はマスのなかに「山」「林」「庄田」「陸田」などと文字で書いてあります。それを分かりやすく記号化したものをみていただいたわけです。

史料20で奴理能美は大后に三種の虫を献上したとありますが、なぜ天皇ではなかったのでしょう。また、その後大后は宮に帰ったのでしょうか?

前後には蚕や桑を詠み込んだ歌も出てきますので、やはり講義でも紹介した、后妃の行う年中行事としての養蚕の問題と関係があるのでしょう。ちなみに、大后の石之比売は、『古事記』では和解して仁徳天皇のもとへ戻っていますが、『書紀』では筒城宮に留まり…

『大安寺縁起』に書かれている九重塔の破壊は、火災という可能性はないのでしょうか。

可能性としてはゼロではありませんが、やはり子部神社の性格を考えると雷の可能性が高いと思われます。それに、仏塔の焼失原因として、史料上最も頻繁に現れるのが「落雷」なんですよね。例えば『続日本紀』宝亀三年(772)4月己夘条に、「西大寺の西塔に震…

史料19でもみましたように、蚕や蝶などが神聖視されている印象を受けます。やはり、変態するものは信仰の対象になりやすいのでしょうか?

脱皮する蛇といい、オタマジャクシから変態するカエルといい、やはり変態するものには神聖視される場合が多いですね。それは偏に、満ち欠けする月のように、変態を死と再生のありさまと捉えたからでしょう。日本に限らず、自然の法則を〈生から死、死から再…