2014-05-09から1日間の記事一覧

いざなぎ流神道についてですが、高知県物部村に、なぜあのような民俗信仰が残ったのでしょうか。

いざなぎ流神道を、古代の陰陽道に直結して考えるのは、どうも正しくないようです。近世には、列島の広範囲に「太夫」と呼ばれる民間陰陽師が活躍していましたので、その系譜に連なるものなのでしょう。また、四国や中国の山深い地域には、周囲との交流を最…

骨卜が未だ日本で行われているということに驚きを隠せなかった。現在それはどのようなあり方で実践されているのか、当初と変わらず呪術としてなのか、あるいは観光の一種としてなのでしょうか。

骨卜・亀卜は、それを最重要の卜占と位置づけていた中国においても、そのあり方を踏襲した日本においても、世界を把握するための最新の科学であったわけですから、現代的な意味での「呪術」という表現は、必ずしも正しくはありません。しかしそれが、古代以…

東巴経典の話が興味深かったです。絵文字で書かれているとのことですが、それはなぜ生まれたのか分かっているのでしょうか。エジプトのヒエログリフのように、国全体に広まっているのではなく、経典のみに使用されたものなのですか?解読はされていないのでしょうか?

東巴文字も、やはり

死体化生の考え方は、どのようにして生まれたのでしょうか。

神話の普遍性でよく聞くのは日本神話とギリシア神話が類似しているということですが、これはギリシアから日本へ伝播したという文化圏論的に考えることも可能ですか?

現在、家族や共同体のなかで語られていた民話が観光業に組み込まれてしまい、語り手の意識の変化が問題になっていますが、そうした語りの場で見出せるのは、やはり「現代の民話」ということになるのでしょうか。

口頭伝承が、聴衆の反応によって変化・変質してゆく点が興味深かったです。伝承していくにつれてどのように変化していったのか、記録はやはり残っていないのでしょうか。

デュルケームの議論でいう「社会」とは、いわゆる「民衆社会」でよいのでしょうか。それとも、「貴族社会」「民衆社会」などと区別せずに、「古代社会」など時代ごとで区切るだけでしょうか。

分類の問題、非常に興味深かったです。ソシュールの話は、言語論的転回の話に少し似ているのかなと思いましたが、いかがでしょうか?

歴史学が方法論的な模索や革新を続けることは重要ですが、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という倫理が必要なのではないかと思っています。

喜安朗氏が、「歴史の全体性について」という短い論考のなかで、歴史を「可能態において捉えることがなければ、歴史の全体性に向き合うことはできないだろう」という指摘をされていたのですが、歴史事象における集合性・全体性を考えてみたときに、この「可能態」としての歴史叙述として、具体的にはどのような学派による、どんな研究史的蓄積があるのでしょうか。