いざなぎ流神道についてですが、高知県物部村に、なぜあのような民俗信仰が残ったのでしょうか。

いざなぎ流神道を、古代の陰陽道に直結して考えるのは、どうも正しくないようです。近世には、列島の広範囲に「太夫」と呼ばれる民間陰陽師が活躍していましたので、その系譜に連なるものなのでしょう。また、四国や中国の山深い地域には、周囲との交流を最小限に抑え、在地共同体の志向や秩序を極めて重視している場所があります。そうしたところでは、山林の生業に密着した個性的な祭儀、伝承などが残されている場合が多いようです。いざなぎ流の場合も、長い時間をかけて醸成されてきた物部の在来の考え方に、近世の民間陰陽道の類などが結びついて生まれたものと思われます。