2017-10-06から1日間の記事一覧

オリンピック便乗型の資本主義のあり方は、惨事と違ってオリンピック後にオリンピックが地域の歴史となり、場所の要素となったとき、商業施設、スポーツ施設などが将来的に場所化される可能性があると思う。惨事の場合、惨事が歴史となっても商業施設には負のイメージ、地域に無関係のイメージしかないと思います。

少し誤解があるかもしれません。オリンピックによる大規模施設建設が惨事便乗型資本主義に似ているのは、その過程でクリアランスが生じるからです。1964年の東京オリンピックのときにも、江戸期の水の都の記憶を伝えていた河川や運河が暗渠になり、あるいは…

引きこもりなどで身体経験が減少し、インターネットという比較的数学的で無限に近い「空間」で過ごす時間が増加すると、身体を持った存在であるという認識が希薄化してゆくのを感じます。人類全体としても、この方向に進んでいると思うのですが、数十年前と今とで〈体験されている空間〉の認識は変わっているのでしょうか?

そのようなことは、多々あるだろうと思います。少しサブカルチャー的な話題を出しますと、宮崎駿が『もののけ姫』を制作しているとき、若手アニメーターによるアニメート描画作業が、極めて深刻な問題に直面していることを吐露しています。彼がいうには、キ…

有名なサルの芋洗い行動などが、切り結びの方法で説明できるのではないかと感じた。個体の行動が集団へ伝播することと、その行為が世代を超えて継承されてゆくことには大きな隔たりがあるように思えるが、そのように両者を結ぶものがあれば知りたい。

これも生物種、そして群体の性格によって相違がありますが、群体には、大集団のものでも小集団のものでも、親の世代が子の世代へ、食料の採取を教導・訓練してゆく場合があります。生物行動はすべて本能によって決定されているわけではありませんので、群れ…

アフォーダンス理論というのは、もともとどの学問分野で生まれた(語られるようになった)ものなのでしょうか。また、動物の捕食関係に当てはめて考えたとき、食べられる側にも利点があると述べることに、どの程度妥当性があるのでしょうか。

生態学的認識論のジェームズ・ギブソンが起源です。日本では近年、哲学・倫理学の河野哲也氏が、アフォーダンスを環境倫理に援用した研究を広く展開しています。食べられる側にも利があるという云い方は、確かに語彙矛盾のある表現なのですが、生態系全体の…