『周易』繋辞伝や『正義』『本義』に書かれたぜい法では、心身を清浄にして易に臨むべきことが求められています。しかし、願った内容を実現してもらうわけではないので、問う内容を常に頭に思い浮かべておく必要はないでしょう。自分を天地人と一体化させ、その理法を体得すべく努めることが重要です。しかし、そのようにして得た卦の意味を解釈する段には、『易経』をそれぞれの見識で読み込み解答を導き出さなければなりませんので、どうしても術者の目線が介在することになります。それをいかに透明に近づけてゆくかが、術者の修業でもあるのでしょうね。