私たちは悪いことが起これば悪霊のせいにして、願いごとがあるときや重要な局面においては、「天国の○○が見てくれている」などと言います。これは、単に現代人の都合よい解釈なのでしょうか。
カトリック大学の立場からすると、答えるのに難しい質問ですね。要は信仰の問題でしょう。生きている我々の側に確とした信仰があれば、一概に「都合のよい解釈」とはいえないと思います。ただし、普段まったく忘却しているのに苦しいときの神頼みのように想い出すのは、生者の自分勝手な解釈といわれても仕方ありません。なぜそうした考え方をしてしまうのか、そこには長い歴史の集積があるように思います。これから3ヶ月にわたって考えてゆきましょう。