日本では、僧道昭が初の火葬の例といいますが、これは、史料1にみられる「鬼の之帰る」と似たような考えが広まりをみた結果といえるのでしょうか。

道昭の場合は、あくまで仏教の伝統的葬法に倣ったとみるべきでしょう。彼は唐へ留学して玄奘三蔵に師事しましたが、玄奘の周辺には西域の火葬情報が集積されていたと考えられます。当時の中国でも火葬は珍しくなく、玄奘自身も荼毘に付されています。道昭は新訳の一切経を将来して法相宗を伝えましたが、火葬もそうした実践のひとつだったと思われます。ちなみに『続日本紀』には道昭が初の火葬例とありますが、渡来人の活躍した畿内の須恵器生産地域などでは、登り窯のなかから人骨が発掘されています。火葬も仏教と同様、公式な開始以前に諸処で行われていたのでしょう。