別の授業で、「人は自分が死ぬときに自らの死を認識することが大事であり、死を認識できない突然の事故死などは恐ろしいことだ」と聞きました。幼児の厲鬼が帰ってくることについて、幼いために自分の死が認識できず生前のように暮らしている、その結果家に被害が出てしまうとは考えられないでしょうか。
戦国期の中国人がそう考えたのではないか、ということですね。ありえないことではありません。ただ、睡虎地日書『詰』の文言からみる限り、幼児の死者もまた教え諭すというより祓除されているので、そこに微細な心情の動きを読み取ることはできません。私ももう少し史料を集めて考えてみます。