中国の南宋時代の武将岳飛は、金対策をめぐって秦檜と対立し謀殺されたものの、その後祀られて神となり、一方の秦檜は売国奴として堕とされました。しかし日本では、菅原道真は神格化されても、政敵の藤原時平は堕とされていません。これは、日本以上に中国が死者の厲鬼を恐れているとみてよいのでしょうか。
まずはケースバイケースでしょうね。岳飛の場合は漢民族と女真族との戦争という背景があり、後世の評価も中華思想によって大きく偏向してしまっています。同じ漢民族のなかならば、例えば神格化される関羽を倒した呂蒙や曹操は、祟りを受けて頓死したとの伝説が付随するものの、一定の評価を与えられています。日本の道真の場合は、国を背負って戦ってなどいませんし、祟りが噂される以前は民衆との接点はほとんどありません。時平は御霊信仰の文脈でけなされはしますが、藤原氏の長者として後世に排除される可能性は考えられませんし、延喜の国政改革を支えて実績も残しています。同じ条件では比較できないでしょう。
しかし、日本の祟り神にしても御霊にしても、実は中国のそれを輸入し改変したものですので、論理としては同質のものが発動していると考えられます。