農業を採用したのは人間にとってよい方向だった。より多くの人間が豊かに生きていけるのを可能にした。その中で環境と折り合っていくのか、その方法を探ることが大事である。人間の文明、文化はもはやはずせないと思う。 / 農業は罰ということもできる、という発想は新鮮ながら充分に理解できるものでした。蓄えが可能になったから争いが始まったという理屈も、ある意味罪と罰の形に還元されるのでしょう。ただそれは、詰めていくとその方向に進化した人間そのものを罪とするようで少し怖いです。
現実的には、現在の人類が狩猟採集社会へ復帰することなど不可能でしょう。我々としては、現在の水準をある程度維持しつつ、これ以上環境を悪化させない方法を模索するしかありません(その結果、地球が緩やかに滅びの道を歩んでゆくとしても、です)。しかし、だからといって農耕を選んだのは正解だったと考えたり、農耕の結果人類は豊かになったと断定することはできないでしょう。それは逆に、現在も狩猟採集経済を営んでいる人々の選択を失敗だったとし、彼らの生活を豊かではないと価値付けるのと同じことです。豊かさとはなんでしょうか。現在の私たちの価値基準は、農耕文明にどっぷり浸かった偏重した視角でしかありません。現在も狩猟採集社会が続いていたなら、地球全体を巻き込むような、これほど深刻な環境問題は起こっていなかったかも知れません。歴史学を勉強するうえでは、どちらのありようも相対化して考えることが必要です。