私は「縁」とは偶然ではなく必然であると思いました。原因があり、その中で働いている間接条件は、結果を出すためのものであると思います。

仏教では、普通の人間では原因を原因と認識することも、結果を結果を認識することもできないと考えますし、ある原因から何らかの結果を導き出すのは自分の力ではできないと説きます。例えば、浄土真宗を開いた親鸞は弟子に、「お前は、人を殺せば極楽往生がかなうといったら殺すか」と訊きます。弟子はとうぜん「殺しません」と答えますが、親鸞はそれに対し、「殺さないのはお前の意志によるものではない。そうした条件が整っていないだけだ」と諭すのです。つまり私たちは、現実世界においては諸々の縁に絡め取られていて自由が効かない。交通事故を例に挙げれば分かりやすいですが、条件がそう働けば、人を殺したくなくても殺してしまうことは普通にありうるのです。