2008-04-28から1日間の記事一覧

イースター島の人たちは、森林を伐採してまでモアイ像を建てることが馬鹿げているとは思わなかったのでしょうか。

イースター島の人々が、神への贈与や蕩尽を続行することこそ、自らの生活の繁栄をもたらすと考えていたとしたらどうでしょう。いかなる犠牲を払っても像を建立し続けることが、彼らにとっては、幸福と安定へ続く唯一の道だったのかも知れません。これほど社…

デュルケム『宗教生活の原初形態』によれば、宗教の源泉は社会である。儀礼や崇拝を通し自分たちの社会的ネットワークを強化する役割を持つ。私は神の意志だったり幽霊のような非科学的なものはまったく信じていないため、どうしても斜に構えてしまうのだが、神という存在は人間が語り継いできた過程で構成されたもので、人間の都合の良いものになりさがってしまうように思う。しかしなぜ人はそれを信仰するかといえば、その中身が何であるか誰も知らないこと、語ることでしか現れないからこそ価値があると考えるからだと思う。

デュルケムは心理学的個人主義との戦いのなかで、集団の学としての社会学を構築しようとしてきたので、上記のような議論になります(彼の活躍した時代情況を考えなければなりません)。私もデュルケムは好きで、論文を書いたこともありますが、現在の人類学…

私は「縁」とは偶然ではなく必然であると思いました。原因があり、その中で働いている間接条件は、結果を出すためのものであると思います。

仏教では、普通の人間では原因を原因と認識することも、結果を結果を認識することもできないと考えますし、ある原因から何らかの結果を導き出すのは自分の力ではできないと説きます。例えば、浄土真宗を開いた親鸞は弟子に、「お前は、人を殺せば極楽往生が…

仏教・本覚思想の部分が少し理解しきれませんでした。つまり現実を真理でないと否定しながらも、その一つ一つに真理及び仏がいるということなのでしょうか。

仏教も他の宗教と同様に、本来的には現実世界を「虚仮」と捉え、仏法のみ真理であると説きます。しかし、インドから西域を経て中国に伝わるうちに、宇宙のあらゆる事象を仏の顕現とする発想が生まれ、それが日本において現実=真理の本覚論となるのです。同…

「自然の事物や現象に人格的霊魂を認める」というアニミズムより派生した神道から、天皇という存在が崇める対象として生まれたはずなのですが、なぜ自然崇拝から現人神という発想が生じたのでしょう。

古代の神祇信仰ももちろん自然を崇拝する神道的な性質を持っていましたが(正確には、古代の段階では「神道」とは呼ばないのです)、そうした神格をより高位の神格に従属させ自然を支配しようという傾向も備えていました。森羅万象を平等に信仰するアニミズ…

シャーマンの行う儀式も、自然と人間のある種の一体感を自覚するものと捉えられるのでしょうか。

そうですね。シャーマニズムは、やはりアニミズム的世界観と密接な関わりを持った宗教形態です。シャーマンは動物霊や植物霊と交感し、これらを使役したり、自分の霊魂を飛ばして精霊の世界へ往来することができると考えられています。精霊というレベルにお…