一度墓から骨を取り出して再葬するという話で、沖縄の洗骨を思い出しました。沖縄も祖先祭祀を重視する風習がありますし、洗骨儀式をより重要なものとしているそうですし、最近は減ったようですが墓も本来子宮の形を模したものだったと聞きます。やはり洗骨も骨を抽象化し、信仰の対象へ変えてゆく儀式なのでしょうか。

沖縄の風習は、縄文時代の様々な遺習とよく似ていることが指摘されています。弥生時代、縄文系の人々や文化が次第に駆逐され、列島の南北の隅へ追いやられたのだという見解もあります。縄文/弥生の文化交替は、融和的に平和裡に実現されたことが分かってきているので、上記のような考えは必ずしも正確ではありませんが、アイヌ同様、沖縄に「本州では失われてしまったもの」が息づいていることは確かでしょう。縄文の再葬は必ずしも「洗骨」ではなく、風葬や鳥葬を含むものであったと考えられますが、原理は同じです。ただし、洗骨には「現世の穢れ、罪悪を洗い流して清浄にする」という意味があるようですが、これは新しい意味づけのように思います。縄文の人々は、死を穢れとは考えていなかったでしょう。また、沖縄では洗骨は女性が担い、その労苦が問題化されましたが、縄文の女性が土器や土偶を作成していた可能性が高いことを考えると、洗骨にも再生への意味が込められていたと解釈することもできます(微妙な問題ですが)。