2008-05-02 集落の中心に墓域を置いて、死者に対する恐れはなかったのだろうか。 日本史特講:古代史(08春) まったくなかったわけではないと思います。しかし、共同体の祖先という発想が死者をより身近なものとし、円環という構造がマイナスのエネルギーをプラスに変える機能を担っていたのではないでしょうか。環状集落やストーンサークルが生まれ、そして廃れてゆくまでには2000年ほどの期間があります。縄文時代は極めて長い時代なので、その間に死者に対する考え方も何度も変容したものと考えられます。