方形周溝墓や円墳の形状は、死と再生の円環と関連するのでしょうか。

円墳や帆立貝型墳には、縄文以来の円環形状へのこだわりをみてしまいますね。当然、縄文―弥生―古墳の文化が一繋がりに結合しているわけではないのですが、底流としてそうした発想は受け継がれているのでしょう。ただし、方形周溝墓に円環の思想を反映させて考えるのは無理があるかな、と思います。諸説あるでしょうが、あえて意味づけを与えるとすれば、「大地は方形である」という中国の思想が導入された結果ではないでしょうか。銅鐸に描かれた長脚鳥や、環濠より検出される鳥形木製品からは、天から稲魂を届けてくれる「穂落神」の神話、信仰の存在が想定されており、稲作の開始によって日光と雨をもたらす天への意識が極めて強くなったと考えられます。鳥取の青谷上寺地遺跡から200を超える卜骨が発掘されているように、中国式の卜占が始まったのもこの頃です。中国文化の受容と天への信仰のなかで、主導者の「大地の王」としての自覚が強まり、「方形墳」を形成したのかも知れません。