黄泉国神話の腐乱したイザナミの様子は、後世の死穢の最初の例なのでしょうか。

ケガレは確かにケガレなのですが、やがて、伝染の仕方や消滅期間等々が制度化される平安以降のそれと比べると、非常にプリミティヴで神話的な色彩を帯びています。これは最近、知り合いの日本文学者から教わったことなのですが、黄泉から帰って禊をしたイザナギからアマテラス・ツクヨミ・スサノヲが生まれることを考えると、この三貴神はケガレの力を抱え込んで初めて誕生したことになる。制度化された死穢は忌避され排除されるものですが、黄泉国神話ではそのパワーが両義的なものとして認められているのです。私の民俗学の師匠に新谷尚紀という人がいますが、彼は「神とはケガレから発生するものだ」という学説を唱えていました。マイナスのエネルギーがプラスに転換される瞬間にこそ神の誕生がある。中世以降のケガレは恒常化し差別と結びついてゆくので難しいのですが、神話におけるケガレには、その強力さゆえにマイナスに作用しやすい原初の力をみるべきでしょう。