縄文時代の環状集落では、中心の墓地への埋葬はどのように行われたのですか。 / 貝塚とは違うのでしょうか? / 環状集落の中心では、何か祭祀的なことが行われていたのでしょうか?

中心核に当たる部分に、集合前の小規模集落の保持していた遺骨が集積(再葬)され、そこから放射状に新しい遺体が埋葬されてゆきます。各住居はそれを取り巻くように配置されるわけで、ちょうど遺骨がかすがいとなって住居同士を結び付ける構図になっているんですね。これこそが祖先の誕生といえる現象です。貝塚とはまったく違って、その場で祖先を祀る祭儀も行われたようです。やがてこの機能は墓地から分離し、環状祭場として独立してゆきます。有名な秋田県大湯万座のストーンサークル、伊勢堂岱のストーンサークルなどもその過程で現れます。栃木県寺野東遺跡の環状盛土祭場からは、中心部付近に祭祀で使用された仮面などが発掘されています。