「事実を知るだけ」それだけでいいのでしょうか?

もちろん、それでは困ります。これまで長々とお話ししてきた「環境史の視座」を思い出してくれれば、歴史学的知識の活用のあり方を分かってもらえるはずです。しかし実は、「事実をありのままに捉える」ということ自体が、本当はいちばん困難なんですよね。とても「それだけで」といえるような営みではないのです。皆さんが実際に史料に向かって研究してゆけば、きっとその意味を実感できるでしょう。