死者になった姿を見られたイザナミが、それを「辱」と感じたという部分は、儒教的な貞操観念の流れを考えてもいいのでしょうか。

貞操とはやや違うように思います。ここは解釈の分かれ目で、イザナミは腐乱した姿をみられたことを「辱」としたのか、それともイザナギに逃げられたことを「辱」としたのか。二者択一にしないでもいいのですが、いずれにしろ、その背景には生者の世界/死者の世界を相容れないものとする世界観があります。この単元の終わりに扱う雲南省少数民族奄美大島の喪葬歌には、死者が帰ってくることを防ぐための言い訳、言葉による呪術がみられます。夫婦神の愛憎入り乱れる別れを描いたこの神話も、構造的には、生/死の二世界を隔絶する思想表現であったのだと思われます(私的には、しかし表象に現れた古代人の葛藤、心の揺れに感心があるわけですが)。