最後に扱った『春秋左氏伝』の史料ですが、「制は要害の地です。虢叔がそれを頼んで身を滅ぼしたところですから、弟には相応しくありません」とありました。なぜ相応しくないのか、よく分からなかったのですが。

制は、殷を滅ぼした周の武王の叔父にあたる虢叔が、東の守りとして配置された要衝の地(河南省汜水県)です。以来、その子孫が守護してきましたが、B.C.767に鄭の武公によって滅ぼされました。荘公のいっているのはこのことですが、言葉の表面上の意味としては「戦略的拠点で重要ではありますが、不吉な場所なので弟には相応しくないでしょう」となると思います。しかし内実は、不和の火種がある弟に、東方の拠点を任せるわけにはいかなかったということでしょう。