建物の構造から何がいえるのかということがよく分かりませんでした。 / 中国式の立礼を導入し、立って歩くのに適した宮造りをしたというのは、具体的にどういうことでしょう。 / 日本でも、宮の中心線を無理して南北にする必要があったのでしょうか。

まず、天皇の居所が私的な空間と公的な空間に分けられたり、政務や儀礼を行うような空間が構築されてくることは、中国の形式を導入しつつ古代日本の政治文化が変質してきていることを意味します。ヤマト政権の盟主に過ぎなかった大王の立場が次第に他の豪族のなかから屹立してきていること、豪族たちが国家の政務を共同で遂行する政治家・官僚となりつつあることが、空間的に示されているのです。礼とは王を頂点とする社会秩序の具現化にあるわけですから、その遂行も大王の屹立、豪族の政治家・官僚化を推進してゆくことになります(建物を南北線に合わせるのも同じです。また講義でも繰り返しお話ししているように、外国使節に中国文化の受容を示す意味もあります)。立礼に即した宮の構造とは、例えば石敷きの広い空間=朝庭などによって代表されます。石敷きは視覚的な荘厳として意味があり、また足音を立てるので警衛にも有効でしょうが、その上を這えば身体を損なう可能性があり匍匐礼などには適しません。斉明朝にかけて飛鳥諸宮で石敷き広場が多く構築されてゆくことは、立礼の導入や、日常の身体的動作の変質と関係していると思われます。