大王(天皇)の権威が自然を完全に上回ってしまうのはいつのことですか。

これは藤原京のところでお話しする予定ですが、天武・持統朝に大王を即神(生きたままの神)化し天皇と位置付けるさまざまな施策がとられたと考えられます。上記のような、神統譜を伴う神話の形成もその一環です。しかしながら、自然を完全に上回る地位を目指しながら、天皇がそれを確立したことはついにありませんでした。例えば律令制度で規定された最重要の祭祀のひとつ〈祈年祭〉は、天皇律令国家によって認定された諸社の神官を召集し幣帛を配布する祭祀ですが、奉幣(神へ供え物を奉る)ではなく班幣(分かち与える)という形をとるところに天皇の優位を宣言していながら、その実、国家の平安を自分より下位の諸神に祈るという矛盾を内包していました。こうした矛盾は次第に大きくなり、地上で最も偉大なはずの天皇は、地祇や新しく生まれた怨霊・御霊たちに常に怯える存在となってゆくのです。ちなみに、面白いことに、古代において最も天皇に祟る神は、なぜか祖先神であるはずのアマテラスなのです。