紫微中台という役職の由来は、紫微宮からきているのでしょうか。

そうなのですが、直接的には違います。紫微中台の前身は皇后宮職で、光明皇后に付属してその活動を輔佐する令外官でした。天平勝宝元年(749)、娘の阿倍内親王聖武天皇の譲位を受けて即位すると、光明は甥の藤原仲麻呂と謀って天皇の大権を代行することにし、そのための機関として皇后宮職を拡充・改名したのです。名称は、唐王朝中書省紫微省尚書省=中台省を合わせたものですが、前者は詔勅の起草、後者はその施行に関わる実務を担当します。つまり紫微中台は、天皇の命令を起草し実行する機関であって、極めて巨大な権限を持つものとして構想されたのです。