階層秩序の具現化のために厚葬が行われたとのことですが、この頃は、死んだらみな平等という考え方はなかったのでしょうか。 / 始皇帝陵の内部に支配地の地理が造型されたということは、当時は俗世の権威が来世にそのまま引き継がれると考えられていたということでしょうか。
死後の世界は平等、という考え方はありませんでした。むしろこうした考え方は、世界的にも珍しい、新しいタイプの冥界観かも知れません。民族世界においては、1) 冥界は現世とはまったく逆の世界だ、という視点が多いですね。この世の生きとし生けるものは、生まれながらにして格差と不条理のなかに立たされますから、死後にその辻褄を合わせるという発想が生じるのも納得がゆきます。他には、2) 現世とは異なるも厳然としたヒエラルヒーを持ち統治機構が存在するもの、3) 現世の秩序がそのままに引き継がれるものがあります。あえて時代的先後関係に置くなら、1→2→3ということになるでしょうか。2) は1) ほどではないながら、冥界は現世とは異なる価値観・秩序で構築されているという意識が残っていますが、3) になると同質性ばかりが強調されます。始皇帝の頃には未だ2) の状態が一般的だったと思いますが、帝=神を自称する彼によって、冥界の秩序さえもが塗り替えられてゆくことになるのです。平安中期に隆盛を迎える日本の浄土教でも、現世の社会的地位を来世に持ち込もうとする意識が強く働いています。現世における善行が来世の往生に繋がるという当時の浄土教の見方が、そうした「橋渡し」の回路になっているのでしょう。