斉明朝において、須弥山石に象徴されるような仏教の導入が図られたのはなぜか?

古代国家に仏教が導入されたのは、仏教があらゆる知識・技術の最新の水準を示す複合文化であったからです。その思想を理解するためには高度な漢文の知識、哲学的思考が必要でしたし、経典を書写する施設・設備が不可欠でした。読経を核とする仏教儀礼を行うためには、本尊となる仏像を造立する優れた鋳造・彫刻の技術、空間となる諸堂を組み上げ荘厳する建築の技術がなければなりませんし、何より法会を実際に担う僧侶が養成されていなくてはならない。とにかく、莫大な投資が必要になるわけです。中国王朝の構築してきた律令という法体系、礼の思想、都城という都市空間…。それらを具備することこそが、東アジアにおける文明国の証なのです。それが実現できなければ、中国や朝鮮半島と対等な外交関係を結ぶことはできませんし、逆に実現できれば、知識や技術の共有が進んで倭の文化もさらに発展させることができる。蘇我氏のように、その音頭を取ることができれば、自氏へ流れ込んで来る利益も相当なものになったでしょう。