漏刻の成立以前には、日本では何によって時間を決めていたのですか。

最も古い方法は太陽や月によって暦や時刻を分節する方法ですね。日時計もそうです。これら天体からは、方位も知ることができます。日本古代には、皇室の祖先神となるアマテラスの他に、尾張氏という海洋系の氏族によって奉仕されていた天照御魂神など、多様な太陽神が存在します。後者は航海の際の指標となることから信仰されたものでしょう。前者は神聖象徴としてかなり抽象化された存在ですが、その弟であるツクヨミが「月齢」によって時節を測ることを意味するように、時間を体現する役割も帯びていた可能性があります。『隋書』東夷伝倭国条において、倭王の使者が「倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未だ明けざる時に出でて政を聴き、跏趺座し、日出づれば便ち理務を停めて云く、『我弟に委ぬ』と」と申上しているのは、そのことを暗示しているのかも知れません。