日本の卜占は誰がどのように行っていたのですか。殷王朝では王自身が実践していたと思うのですが...。

殷王朝では、最高の卜官は確かに王ですが、卜府ともいうべき専門の機関が存在し、亀甲や牛骨の調達・管理・整形、卜占の実践・記録等を一括して行っていました。そこに所属する貞人=卜官こそが、歴史を掌る史官の前身でもあります。周代以降は、卜占は専門職化した卜官が担い、王自身は直接関与しないようになってゆきます。亀卜の制度は歴代中国王朝に受け継がれてゆきますが、古代日本へは六朝から隋にかけての知識・制度が、波状的に伝来し採り入れられたと考えられています。律令体制下では神祇官に所属する卜部が亀卜を担っていますが、彼らの知識や伝承を記した『新撰亀相記』に、六朝編纂の『亀経』なる亀卜書が引用されているのです。ちなみに、卜部は対馬壱岐・伊豆の三国より選抜・貢上されてきますが、この分布は、古墳時代における卜甲遺物の分布とほぼ一致します。これら海上の道に重なる地域で、亀卜の文化が早くに将来され、発展していたのでしょう。