『日本書紀』が天皇によって記述態度を変えているのはなぜなのでしょう。書き手が朝廷側である以上、民間の評価を無視して天皇を賞賛すればよいと思うのですが。 / 『日本書紀』は天皇権力の偉大さを示すものなのに、どうしてわざわざ神や自然の脅威を描いたのでしょうか。

ひとつには自然崇拝を基底とした古代人の宗教的心性、もうひとつには中国的な歴史叙述のスタイルの踏襲によるものでしょう。『書紀』が史書である証ともいえます。前者については、天皇は自然神を超越した存在を志向していながら、その宗教的権威も自然神崇拝に基づくものであるというジレンマを内包していることが重要です。つまり、人々が自然神を崇拝しなければ、天皇の宗教的権威もそれとして機能しないわけです。このあたりの矛盾が、神と天皇との複雑な関係を考えるうえでの鍵となります。また後者については、史官という、王朝に奉仕しながらその権力を相対化して捉えていた独特の職掌、正史という、現在の王朝が前代のそれの美点と汚点を客観的に描くスタイルが重要です。むろん、これらは時には「理想」「建前」に過ぎなくなりますが、とにかく史書なるものはそうした性質のものである。『書紀』は天皇の屹立を目指しつつもこれに倣い、王朝交替や現王朝正当化の論理も取り入れて構築されました。壬申の乱によって王位を簒奪した天武皇統が自らの正当性を喧伝するためには、前王朝の汚点を暴き立てねばならない。大化改新を成功させた天智天皇を批判することはできないので(奈良時代においても律令国家の出発点とされている)、天智朝に直結する斉明朝を必要以上に批判的に記述しているのかも分かりません。