蘇我氏の仏教儀礼で雨が降らなかったということは、仏教の権威がまだ充分ではなかったということでしょうか。

確かにそうした見方もできますが、ここでは蘇我氏批判/天皇称揚の恣意が強いと思います。また、仏の力より天皇の神的力の方が上であることを示さなければならない政治情勢もあったでしょう。それは皇極朝のことというより、恐らくは天武・持統朝の課題で、仏教の発展も王権のコントロールのもとに保証されることを示した可能性があります。