この時代は渡来系の人々が重要な役職に就いて政治にも関わっていたようだが、当時の倭人に国家を乗っ取られてしまうといった危惧はなかったのだろうか。

天智朝に亡命してきた百済王族が迎えられるまで、渡来系氏族は実務官人の地位に留まっていましたので、渡来人に征服されるかもしれないという危惧は一般的ではなかったようです。ただし、『日本書紀』には、乙巳の変の現場から自分の宮へ逃げ帰ってきた古人大兄が、「韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し」と云ったという謎の記述があります。この発言の意味に関しては諸説がありますが、例えば古人大兄の勘違いであったとしても、朝鮮の人々が朝廷を狙っているという危惧があった証拠になるかも分かりません。当時、倭と三韓は互いに利用しつつも緊張関係にありましたので、外敵の朝鮮が倭を襲撃しようとしているという不安は常に存在したと思われます。