京都に「太秦」という地名がありますが、これは秦氏と関わりのある場所なのでしょうか。

そうです。秦氏は講義でも説明したように、元来は血のつながりのない雑多な渡来人の群集を、朝廷が「秦氏」と呼称しまとめたものです(地域ごとに職保有技術の共通するものを集めた可能性はあります)。しかし、その統括者=族長には幾つかの血統があり、時代を追って、山背国(現在の京都府)の嵯峨野(葛野)や深草に族長集団が存在したことが推測されています。嵯峨野の集団は桂川の治水に成功して大きな経済力と政治力を獲得、族長としての立場を確立し、厩戸王の側近のひとりであった秦河勝などを輩出します。現在の太秦はその本拠が置かれたところで、秦の族長を意味するウズマサがそのまま地名となっているのです。河勝が創建した広隆寺秦氏氏神松尾大社、同氏の崇拝する木嶋神社・大酒神社などが残っています。