献上されるのが山猪である必要はあったのでしょうか。

食肉の歴史からいうと、日本列島の場合、鹿と猪が縄文期より代表的な狩猟対象となっています。どちらも文献に神の使者として登場しますが、鹿が人間に幸いをもたらす性格が強いのに対し(春日神や鹿島神の場合が典型的)、猪は災禍を将来する役割を帯びています。『書紀』雄略紀には、葛城山で暴れる猪を天皇が踏み殺すエピソードが語られていますが、これは王権による山の征服をも意味しているようです。仁徳紀には菟餓野の鹿が贄として献上される逸話がみえますが、天皇はこれに同情して献上者を処罰しています。鹿と猪では王権の認識も異なっていたようで、崇峻紀でもその延長上に〈憎い対象〉の比喩として使われているものと考えられます。