天皇が殺されることは歴史上ほとんどありませんが、それほど困難であったということですか?

現実的な困難、政治的な困難、そして平安期以降においては精神的な困難が伴ったでしょう。大王を〈現御神〉天皇とするイデオロギーは天武・持統朝に形成され、奈良期を通じて喧伝されてゆきます。祭政一致の核が殺害という形式を採らずに交替を繰り返し、一定の秩序を担保してゆく。民族社会の諸事例にみるように、神聖性が殺害を拒む理由にならない(むしろ殺害を推奨する場合が多い)とすれば、「なぜ殺せなかったのか」という問いにこそ天皇制の謎を解く鍵があると思われます。