2008-10-29から1日間の記事一覧
『書紀』は、引用された漢籍や音韻、漢文の文法などから綿密に解析してゆくと、中国人が撰述したと考えられるα群(巻14〜21・24〜27)、漢文に長けた日本人が編纂したと考えられるβ群(巻1〜13・22〜23・28〜29)、巻30の三つに分けられます。崇峻紀は巻21で…
中国文化の避諱を導入することで、次第に同名を付ける/称することに抵抗が芽生えてくるようですが、七世紀までの段階ではとくに注意は払われていなかったようです。ちなみに講義では触れませんでしたが、県犬養宿禰三千代が前夫美努王との間に生んだ橘諸兄…
これは、古代国家が依拠した中華思想に拠るものです。中華とはそもそも文化の中心、秩序の核を意味しますが、中国王朝の世界観においては、その周囲には文化の行き渡らない野蛮な異民族が存在しました。いわく、北は北狄、東は東夷、南は南蛮、西は西戎。こ…
そうした子供は確実に生まれていると思われますが、史料には明確に記されていません。ただし、生まれつき身体が虚弱だったり、精神に問題を抱えている天皇の記事はときおり記録にみられます。それでも維持されねばならない血統があったわけで、生物が従うべ…
いわゆる前期難波宮には、確かに大極殿とおぼしき施設が認められます。北側の内裏と南側の朝堂の中間に位置する建物で、天皇(大王)が出御し政務・儀式に臨むに相応しい場所です。しかし問題は、現在確認できる遺構は朱鳥元年(686)に焼失した廃絶時のもの…
現実的な困難、政治的な困難、そして平安期以降においては精神的な困難が伴ったでしょう。大王を〈現御神〉天皇とするイデオロギーは天武・持統朝に形成され、奈良期を通じて喧伝されてゆきます。祭政一致の核が殺害という形式を採らずに交替を繰り返し、一…
食肉の歴史からいうと、日本列島の場合、鹿と猪が縄文期より代表的な狩猟対象となっています。どちらも文献に神の使者として登場しますが、鹿が人間に幸いをもたらす性格が強いのに対し(春日神や鹿島神の場合が典型的)、猪は災禍を将来する役割を帯びてい…
崇峻と蘇我馬子との政治路線の対立が原因であったと考えられています。暗殺記事のすぐ前に書かれている、『書紀』崇峻天皇四年八月・十一月条によれば、崇峻は欽明天皇の頃に新羅によって滅ぼされた倭の朝鮮経営の拠点「任那の官家」を復興しようと図り、新…