神様の名前の話のところで、千尋とハクが本当の名前を奪われるというエピソードを思い出しました。『ゲド戦記』の原作でも、名前はとても重要なものとして描かれていましたが、古代の人々は名前をどのように捉えていたのでしょう。

古代においては、名前はひとつの物語です。氏族の持つウジ名やカバネ名は、自分たちの生活する地域との関係、王に奉仕するに至った理由などを体現する記憶装置でもある。名を負うということは、物語を背負う、父祖から自分へと繋がる歴史を担うことでもあるわけで、古代社会において極めて重要な意味を持っていました。また、少々変化球的になりますが、中国の戦国末期の出土資料である『睡虎地日書』の「詰篇」という項目には、人に災禍をなす悪霊を撃退する処方が列挙されており、そこでは、それぞれの災いを起こす霊の名を言いあてることが重要な意味を持っています。名前が分かれば属性も判明し、対処法を考案することもできる。精霊などにおいても、名前とは素姓を明かすものであったわけです。それゆえに、逆に悪意のあるものに知られると、自分の身に危険が及ぶことになる。貴人の名を呼ぶことを憚る避諱の習俗なども、このあたりに由来するものといえるでしょう。宮崎駿がどこまで考えて設定を構築したのかは分かりませんが、名を奪うことが記憶を奪うことに繋がるというのは、歴史学的にみても納得のゆくところです。