鷹狩りに関してですが、『信長公記』には諸大名の信長への鷹贈与の記事がみられます。「鷹を与える」という行為は、「殺生の責任転嫁」の面を踏まえると何らかの関係があるのでしょうか。

講義でも少し触れましたが、鷹狩りは武家の棟梁を象徴する行為になってきます。鎌倉時代においては巻狩りがその位置を占め、頼朝の催した富士の巻狩りが神話的地位を与えられていたのですが、殺生罪業観が浸透するに従って鷹狩りの価値が高まったようです。武家社会や貴族社会で鷹を贈与しあう行為は、それ自体が鷹狩りのハイ・カルチャー化、獣狩猟のロー・カルチャー化を推進してゆくのだと思われます。「殺生の責任転嫁」の意味からすると、支配階級・上層階級の清浄化が進行し、内実としての穢れを下層階級が引き受けてゆくということになります。親鸞などが問題化した狩猟者や屠殺者差別の固定化に、少なからぬ意味を持ったのではないでしょうか。ちなみに、現在宮内省の管轄になっている鵜飼いも、天皇が、鵜を介して殺生の罪業を回避する清浄化の装置なのです。