高位にある人間は、本当に仏教を信仰していたのでしょうか。政治的手段のように思えるのですが。

確かに奈良時代に至るまでは、天皇らが仏教を個人的にどの程度信仰していたのか、明確に立証することは困難です。8世紀になると、神祇信仰の最高位の司祭でありながら仏教の戒律を受ける聖武天皇、正妃の光明皇后や娘の孝謙称徳天皇の姿に、個人的な信仰の高まりをみることができます。とくに孝謙=称徳は、女性として皇位に就いた葛藤から男装をなし、男子に変成して悟りを開く『宝生陀羅尼経』などの経典を書写していたことが分かっています。鎮護国家のスローガンを掲げながら、権力者のあいだにおいても、仏教は確実に内面的懊悩・課題に応える役割を果たしていったのです。