もし崇仏論争がなかったとしたら、蘇我氏と物部氏の争いもなかったのでしょうか。

講義でもお話ししましたが、『日本書紀』をよく読んでみると、物部守屋が滅ぼされる政治的対立は、皇位継承をめぐって起きたものと書かれています。恐らく、この事実が先にあって、宗教的対立であるかのように粉飾されたのでしょう。近年では、蘇我氏の本拠付近に神祭りの祭具を生産する工房が発掘されたり、物部氏の氏寺とみられる遺構が出土したりして、蘇我/物部の両氏とも、仏教一辺倒/神祇信仰一辺倒ではなかったらしいことが分かっています。