四ッ谷周辺に怪談が多く残っているのは、この辺りが武家屋敷やお堀に囲まれていたからだけなのでしょうか?

もちろん、それだけとは限らないでしょう。例えば現在、雅子妃が愛子内親王学習院初等科に通学してゆく鮫ヶ橋周辺は、かつて、一大スラム地帯として有名な場所でした。丘陵と谷とが交錯する地形で、丘の上には中級以上の武家屋敷や寺が並んでいるのですが、谷間には下層庶民の家々が連なっていたのです。「四谷怪談」などは下層生活者の悲哀を反映していますので、このような目にみえる「格差」が、様々な悲劇、怪異譚を生み出す温床になったのかも知れません。しかしいずれにしろ、武家屋敷の周辺が怪談を醸成するのは確かで、例えば本所七不思議といった江戸の怪異などは、みなお堀や武家屋敷の周辺で語り出されているんですよ。