2009-04-27から1日間の記事一覧

四ッ谷周辺に怪談が多く残っているのは、この辺りが武家屋敷やお堀に囲まれていたからだけなのでしょうか?

もちろん、それだけとは限らないでしょう。例えば現在、雅子妃が愛子内親王と学習院初等科に通学してゆく鮫ヶ橋周辺は、かつて、一大スラム地帯として有名な場所でした。丘陵と谷とが交錯する地形で、丘の上には中級以上の武家屋敷や寺が並んでいるのですが…

「四谷怪談」の四ッ谷は、やはり地名のことなんですか?

そうです。鶴屋南北の書いた戯曲「四谷怪談」は、現在も地名が残る左門町が舞台で、赤穂浪士の食い詰め浪人田宮伊右衛門が自らの出世のために悪行の限りを尽くし、その犠牲となった妻の岩が亡霊となって復讐するという筋です。その成立については幾つか研究…

いま、授業では「藤原京が作られた経緯」をやっているんでしょうか。なんだかテーマが分からなくなってきてしまいました。

大学の講義は微に入り細に入り、また複雑な経路をたどったりするので、常に全体の流れを頭に入れておかないと分かりにくいかも知れません。シラバスはちゃんと呼んでいますか。テーマと15回の授業計画が出ていますので、それを念頭に置いておいてください。…

陰陽道が中国のものではなく、日本で作られたというのは意外でした。仏教が導入されるときは軋轢があったのに、陰陽道は官職にもなっているのは、やっぱり日本で作られたからなのですか。

講義でも説明しましたように、陰陽道自体は日本で構築されますが、陰陽説・五行説は中国のものです。陰陽寮は、この中国的知識に基づき、天文の観察・暦の作成・時間の管理を主要な業務として、その他そこから派生する占い(式盤を用いる式占)や呪術を行い…

持統は天智と天武に挟まれてどんな気持ちだったのだろう。

どんな気持ちだったのでしょうねえ。日本の実証主義歴史学は、そうした感情や心性を「学問的でない」と斥けてしまいがちですが、実は我々が過去に迫るためには、そうした感受性が大変重要であると思います。ただし注意しなければならないのは、「古代人の感…

昔、歌人がもてはやされたのは言霊信仰も一因だったとされているが、なぜ言霊という思想が出現したかが疑問だ。 / 言霊信仰は日本独自の文化なのでしょうか。それとも中国から入ってきたのですか?

言霊は、必ずしも日本固有の思想ではありません。世界的に広く認められる、シャーマニズムの範疇に属する信仰です。宗教学や人類学の用語で、やはり原初的な宗教形態を表す言葉に「マナイズム」があります。これは、あらゆるものに生命と活動の本質としての…

藤原京の範囲はとても広いですが、京の中には何があるのですか。商人などもいて町のようになっているのでしょうか。

藤原京の周辺地域は農村に直結しており、農地や庶民の家々が広がっていたと思われますが、藤原宮や朱雀大路の周辺には貴族・官人の邸宅、市、寺院などが集まっています。律令では、位階によって邸宅の規模も決まっていますし、政治的な権威が大きな人間ほど…

『書紀』において、「みる」という言葉に異なる漢字が当てられ、それによって異なる官職の役割が浮かび上がってくることに驚きました。このようなことは他の書物でもみられるのでしょうか?

そうです。もちろん、すべての漢字使用に奥深い意味が込められているとは限りませんが、常にそのあたりを注意して読む必要があるんですね。歴史学の主要資料はやはり「書かれたもの」ですので、そこから一体どのくらいの意味内容をくみ取ることができるかが…

四神相応が応用されているのは宮だけなんですか?他の場所(幕府など)には使われたりしないんですか?

ぼく自身、ちゃんと検証したわけではないのですが、鎌倉や江戸の都市開発にも風水思想が用いられたという説があります。最近の中世の陰陽道研究が明らかにしてきたことですが、鎌倉には非常に多くの陰陽師が出入りして活躍しているんですね。周囲を山に囲ま…

花粉から歴史をみたり、何かを導くという着眼点に驚きました。しかし、空中を飛んでいる花粉は目にみえないので、どう検証するのか疑問に残りました。

講義でも説明しましたが、花粉分析を行うためには、低湿地に着床したものを素材とするのが最も効果的です。質問にもあるように、軽い花粉は地面に落ちてもすぐ飛散してしまうので、どこから飛んできたものなのか分からなくなってしまうのです。尾瀬沼のよう…