小子部の伝承については『霊異記』の方が詳しく書かれていましたが、これは『霊異記』の特徴なのでしょうか? 『書紀』と『霊異記』とで共通する説話があった場合は、基本的に『霊異記』の方が詳細なのでしょうか?

『書紀』はもちろん、『霊異記』も歴史書としての側面を持っていますが、やはり本質的には説話集なので、後者の方が物語的に詳細になることはあるかも知れません。講義で採り上げた伝承の場合、両書の情報ソースの問題も関わってきます。定説的には、ともに小子部氏の始祖伝承(あるいはそれが、雷丘の地名起源伝承として人口に膾炙するようになったもの)をモチーフにしていると考えられていますが、類話でありながら、まったく別のソースを持っているとみることもできるのです。例えば『書紀』の方は、天皇が三輪神を畏怖する筋となっていますが、7世紀には三輪氏の奉祀対象となる三輪山も、5世紀以前には王権の奉祀対象であったことが考古学的に立証されています。和田萃氏のように、アマテラスの前身を三輪山や香具山に求める研究者もいます。すると『書紀』の方は、王権の古い記憶を伝えたものだといえるかも知れません。一方の『霊異記』の方は、雷神勧請の技術を色濃く反映している点からすれば、明らかに小子部氏の氏族伝承より発するものです。こう考えると、両者を一概に詳細度の相違だけで論じることはできなくなります。