高校のときに日本史の先生が、「都は下水施設がなかったので排泄物が積み重なり、度々遷都せざるをえなかった」といっていましたが、本当でしょうか?

藤原京段階から、すでに汚物を水路を通じて排出する仕組みはできていました。しかし、平安京に至るまで水路の清掃は充分行き届かず、また、庶民がゴミや動物の遺体を次々に廃棄するので、水路がすぐに詰まってしまって汚水が溢れ出るという情況はありました。平城京では、大仏造営の際に用いられた銅や水銀の毒が水路を通じて広がり、人間の生活が困難になったため遷都を余儀なくされたという説もあります。