藤原京の後も、遷都をする度に近隣の山々がはげ山化していたのでしょうか?

現在の大阪湾は、8世紀頃まではかなり内陸部にまで入り込んでおり、生駒山地の西側の麓に津があるような環境でした。それが、10世紀頃には史料に船の座礁の記事が出始め、湾が次第に土砂で埋まっていったことが判明しています。その原因こそ、淀川水系上流部で繰り返された宮都造営にあり、過度な樹木伐採のために歯止めを失った産地の土砂が流出し、大阪湾を陸地化していったのではないかと考えられているのです。