六道絵に関する質問なのですが、地獄で人を裁く獄卒たちも、輪廻してきた存在なのでしょうか。それとも裁く人が専門でいるのでしょうか。

地獄の成立は、仏教以前のインドにおける冥界観、西域や中国における独自の冥界観が絡み合ってきますので、必ずしも仏教の論理で説明できるわけではありません。あえて説明を加えようとするなら、地獄の世界は衆生の行動を戒めるための方便であり、悪業に傾く衆生の機に応じて真如が形を変えた世界なのだということができるでしょう。地獄の裁判を行う十王は、それこそインド・西域・中国の神々が仏教に取り入れられたものに他なりませんが、これらの「護法善神」は、神仏習合の論理においては「悪業」の報いとして神の身に生まれたものと解釈されています。仏教に奉仕して救済を求める点では衆生と同じなんですね。ただ、天部に組み入れられる存在もありますから、その当たりの論理は体系化されていない(ケース・バイ・ケース)と考えた方がいいでしょう。獄卒たちも、元来仏教とは異質な思想のなかでイメージされたものでしょうが、牛頭や馬頭といった造型が基本となってゆくのは、「人間にこき使われた動物が復讐する」という発想に由来するのだと思われます。そういう意味では、輪廻の歯車のなかに当てはめられて理解されてゆくということでしょう。