現実の問題として、生きてゆくためには他の生命を奪わなくてはなりません。草木成仏論を展開していながら、実際には殺生を行っている矛盾を、人々はどのように認識していたのでしょうか。

これは2回目の結論部分に関わりますね。実際、殺生戒を完全に徹底しようとすれば、人間は生きてゆけません。その意味で、生命に差別を設けるインド仏教の見方の方が現実的ではあるのです。中国や日本の草木成仏論は、そうした差別に疑問を感じ、樹木を殺害している自らの行為に疑問を感じるところから始まっているのだとみるべきでしょう。草木成仏論から考えて現実生活が矛盾しているのではなく、現実生活の矛盾から草木成仏論が導き出されているんですね。その発想は自らの首を絞めてゆくことになりかねないのですが、そうした据わりの悪さが、実はあらゆるものを肯定する本覚論を支えつつ、一方では暴走を抑止していたのかも分かりません。逆説的ないい方ですが。