持統天皇は何度も吉野へ行幸して自然のエネルギーを得ていたとのことですが、それが公に分かれば権威が失われると思うのですが?

そうした完全なヒエラルキー構造としては、天皇と自然との関係をみていなかったと思います。天皇は、確かに自然神の上に立つものとして位置付けられてゆきますが、その内実には自然を祭祀するシャーマンとしての本質をずっと持ち続けてゆきます。講義でお話しした祈年祭の破綻のように、その矛盾はさまざまな問題を生じてゆくことになりますが、自然を上回る天皇の宗教的権威の根拠はまた自然である、というねじれ構造が持続してゆくのです。